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最近暇な時間を法学にぶち込んでますがめちゃくちゃ楽しいですねあれ。音楽の作曲法(あえてぼかす言い方をしておくよ。手の内は晒さないのが好きになってきたので。)を勉強している時みたいな感覚になれます。
結構考え方は似ていて、例えば法律は、具体的な事件が起きたとき、それを法的に解決するための論理を法曹の人たちが法律から導き出すわけです。それは法曹の人たち各自が出したい結論を考え、その人がその結論に至ったまでの論理の正当性を裏付けるために法律を解釈し、適用していくのです。例えば類推解釈、拡大解釈、縮小解釈など様々な解釈法があり、状況によってそれらを使い分けていきます。そして最終的に論理が組み上がるとき、あたかも初めからその論理建てでしかありえなかったようなものに見えるような、自然なものが出来上がるのです。
しかしながらそれは、具体的な事件を解決するために法律を解釈した結果誕生した論理なのであって、法を機械的に適用した結果、具体的な事件を解決する論理を導くことができた、ということではないのです。(昔のドイツでは概念法学という考え方が一般的で、この後者のような考え方が取られていたみたいですね。ドイツ人らしいなと思ってほくそ笑んだ覚えがありますよ。個人的には嫌いじゃない考え方なんですけどね。流石に現実的に無理がありすぎた、ということのようです。)
音楽も同じで、具体的に作曲するとき、自分の頭のなかに降ってくる旋律や和音が音楽的に正当なものである、ということを裏付けるために作曲法を解釈していくわけです。最終的に曲ができあがると、はじめからその旋律や和音でしかありえないかのような自然な曲になるというわけですね。決して作曲法が初めからあり、それに機械的に従った結果曲ができる、ということではないのです。
何かが起こった時、最終的に身を守るのが法律なので、そのために法を知っておいたほうがいいかな、ということと、哲学、経済学(マクロ経済)が一段落したので次は法学かなと思って学び始めたものですが、意外や意外、音楽(作曲)に結びつく考え方が得られたのでこれはこれで一つ法学を学ぶ意義が出来たな、と 思った昨今でございます。